広島のシンボルとして、世界中の人々を魅了する厳島神社

海に浮かぶ朱塗りの社殿と大鳥居は、あまりにも有名ですよね。しかし、この厳島神社が「安芸国一宮」として、なぜ特別な存在であり続けているのか、その深い歴史を知る人は意外と少ないかもしれません。

この記事では、厳島神社が歩んできた壮大な歴史の物語を、初心者にもわかりやすく解説します。


一宮(いちのみや)」とは、平安時代以降、各令制国で最も社格が高いとされた神社のことを指します。つまり、「安芸国一宮」とは、安芸国(現在の広島県西部)で最も格式が高い神社という意味です。厳島神社がこの特別な地位にあるのは、古くからこの地で崇められてきた信仰と、その後の歴史的な権力者との結びつきが深く関係しています。


厳島神社の歴史をたどるタイムライン

創建と古代の信仰

厳島神社の創建は、推古天皇の時代に**佐伯鞍職(さえき の くらもと)**によって社殿が建てられたという伝承が残っています。この頃から、宮島は神が宿る島として、人々の信仰を集めていました。厳島神社の御祭神である市杵島姫命(いちきしまひめ の みこと)は、航海の安全を守る神様として、古代から瀬戸内海を行き交う人々の間で篤く信仰されていました。

平安時代と平清盛の時代

厳島神社の歴史で最も重要な人物といえば、平清盛でしょう。彼は、安芸守に任じられたことをきっかけに、厳島神社を篤く崇拝しました。彼は、現在の海上に建つ壮麗な社殿を造営し、平家一門の繁栄を祈願しました。厳島神社が現在の姿に近い形になったのは、まさにこの時代です。潮の満ち引きに対応できるよう、海上に廻廊を張り巡らせた建築様式は、この時代の高い技術と清盛の権力の象徴でもあります。

平家滅亡後と戦国・江戸時代

平家が滅亡した後も、厳島神社は時の権力者から大切にされました。源氏や足利氏、そして戦国時代には**毛利元就(もうり もとなり)**が、厳島合戦で勝利を収めた後、厳島神社を修築。江戸時代には、浅野氏からも手厚い保護を受けました。時代を超えて、日本の歴史の転換点に必ず厳島神社があったことがわかります。

明治維新と神仏分離

明治時代に入ると、政府は神仏分離令を発令しました。これは、神道と仏教をはっきりと分けるというもので、全国の神社やお寺に大きな影響を与えました。宮島でも、仏教の建物が厳島神社の敷地から移されたり、多くの仏像が寺院に移されたりしました。


厳島神社の歴史的見どころ

  • 大鳥居: 海上に浮かぶ姿が印象的な大鳥居は、平安時代の平清盛の時代に建てられたものが起源とされています。現在の鳥居は、明治時代に再建されたもので、2019年から2022年にかけて大規模な修復工事が行われました。
  • 廻廊(かいろう): 潮の満ち引きに対応できるよう、床板の間に隙間が設けられています。これは「目透し(めすかし)」と呼ばれる技法で、潮の力を逃がす役割を果たしています。
  • 能舞台: 日本で唯一の海上に建てられた能舞台です。毛利氏が奉納したことに由来するといわれています。

厳島神社だけじゃない!安芸国と速谷神社の関係

「安芸国一宮」と検索すると、**速谷神社(はやたにじんじゃ)**も候補として挙がることがあります。速谷神社は、交通安全の神様として知られ、安芸国総鎮守とされていました。厳島神社が全国的に崇拝を集めた一方で、速谷神社は安芸国造(あきのくにのみやつこ)によって創建されたと伝わるなど、この地域の古くからの信仰を支えてきた存在です。両社ともに安芸国の歴史を語る上で欠かせない存在と言えるでしょう。

厳島神社の歴史は、ただの神社の歴史ではありません。それは、古代から現代に至るまでの、権力や文化の変遷を映し出す壮大な物語です。次に宮島を訪れる際は、この記事の歴史的背景を思い出しながら、その荘厳な雰囲気をより深く感じてみませんか。

カテゴリー: 広島歴史

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